三線を始めたらやっぱり弾いてみたいのは沖縄民謡です!
数ある沖縄民謡の中でも、初心者がまず練習すべきなのは、
『安里屋ユンタ』です!
『安里屋ユンタ』と書いて『あさどやユンタ』もしくは『あさとやユンタ』と読みます。
沖縄に旅行に行って、三線体験すると、割とこの曲を練習するところが多いみたいですね。
『安里屋ユンタ』とは?
『安里屋ユンタ』は、元々八重山諸島の竹富島で生まれた古典民謡になります。
八重山民謡の一つですね。
八重山民謡は、大きく節歌と労働歌の二つに分けられます。
『ユンタ』『ジラバ』『アヨウ』と労働歌が存在し、『安里屋ユンタ』は田植え歌として歌われていたようです。
男女掛け合いで歌うところが一つの特徴です。
仕事をしながら男女が交互に歌い合い、一つのハーモニーを作り出していきます。
youtubeを見ていると、一人で三線を弾きながら歌っているものが多いですが、イベントなどでは、男女で出演していることが多いように思います。
『安里屋ユンタ』は、琉球王国時代の竹富島に実在したとされる人物がモデルとなります。
絶世の美女と言われる安里屋クヤマ。
琉球王国の王府より派遣された目差主(みざししゅ)という役人が、安里屋クヤマに一目ぼれをします。
目差主はクヤマに求婚をしますが断られてしまいます。
そのやりとりを面白おかしく描いたのが『安里屋ユンタ』です。
この当時は、庶民が役人に逆らうことなど考えられない時代でした。
そんな中で目差主の求婚をはねつける安里屋クヤマ!
どの時代でもかっこいい女性がいるものですね。
クヤマは目差主に肘鉄をくらわせたそうです!
クヤマの気丈さは八重山の庶民の間で反骨精神の象徴として語り継がれていきます。
少しずつ変化をする『安里屋ユンタ』
初めに八重山諸島で歌われた『安里屋ユンタ』。
このときにはまだ歌だけであったようです。
そこから、三線での伴奏がついた『安里屋節』が生まれます。
歌詞の意味自体はほとんど変わりませんが、三線が入り、節をつけることで曲調は大きく変わりました。
1934年には、三線の伴奏がなかった初めの『安里屋ユンタ』をベースとして、近代沖縄音楽の父と呼ばれる宮良長包が作成したのが、現在の『安里屋ユンタ』です。
作詞は、星克という教職員です。
初期のものと区別するために『新安里屋ユンタ』とも呼ばれています。
今、『安里屋ユンタ』といえば、こちらを指します。
本土の言葉を使っていて、歌詞の内容もかなり変更がなされています。
『安里屋ユンタ』の歌詞
これは、『新安里屋ユンタ』の方の歌詞になります。
最初の『安里屋ユンタ』や、『安里屋節』とは歌詞がかなり違います。
『安里屋ユンタ』
【一番】
サー 君は野中の茨の花か
サーユイユイ
暮れて帰れば ヤレホンニ 引き止める
マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
【二番】
サー 嬉し恥ずかし 浮名を立てて
サーユイユイ
主(ぬし)は白百合(しらゆり) ヤレホンニ ままならぬ
マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
【三番】
サー 田草(たぐさ)取るなら 十六夜月夜(いざよいつきよ)
サーユイユイ
二人で気兼ねも ヤレホンニ 水入(ミズイ)らず
マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
【四番】
サー 染めてあげましょ 紺地(こんじ゙)の小袖(こそで゙)
サーユイユイ
掛けておくれよ 情(なさけ)の襷(たすき)
マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
田園における男女の恋の物語を歌ったものになっています。
最初の『安里屋ユンタ』が、現地妻を得ようとするお役人の歌だったことを考えると、とても一般的な内容に変わったのだなと思います。
歌詞の中の、
「サーユイユイ」
は、合いの手として入っており、言葉としての意味はありません。
「マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ」
は、「また逢いましょう、美しき人よ」という意味です。
女性を花にたとえたり、美しき人なんて言ったり、なかなか恥ずかしいですね。
終わりに
『安里屋ユンタ』は、たくさんの人が実際に歌った動画をネット上に挙げています。
歌い方や、指の動きを学ぶことができるので、三線で『安里屋ユンタ』に挑戦しようとするひとは、ぜひYouTubeなどで探してみてください。
練習するとしたらこうしたみんなが弾く曲から、ぜひ挑戦していきましょう。