もうタイトルどおりです!
育児・子育てにおいて夫婦の意見を完璧に合わせるなんて不可能じゃー!
と常日頃から感じております。
育児系の本だとかブログなんかを見ていると、
「子育ての方針を夫婦で共有することが大切です!」
なんてものを目にするんですけど、これって絶対ただの理想論ですよね。
本当に育児やったことあるんかーい!って思ってしまいます。
意見が完璧に合うことなんてない!
そりゃ夫婦ですからね、意見が合えばいいなって思うんですよ。
でも現実的にそれって難しくないですかね。
だってそれまでまったく別の生き方をしていた二人なんですから。
子供の頃に実家でどんな風に育てられてきたのかだって違うし、当たり前としているものだって違います。
妻との常識の違いで言えば一番衝撃だったのは、トマトの皮を剥いて食べるかどうか。
いやトマトって、さっと水洗いしたらそのままがぶりじゃないですか!
なのにわざわざ軽く湯通ししたあとに冷やして、皮を剥いてから食べるんです。
お互い、「えっ?」ってなる瞬間でした。
大したことじゃないって?
そんなことないんですよ、これが。
小さなずれってたくさんあって、掃除の仕方だって、洗濯物のたたみ方だって、微妙に違うんです。
そうなると育児なんてどでかいものだとその差は歴然。
子育てにしたって、それまで育ってきたあたり前があるので、完全に一致することなんて不可能です。
無理矢理そこを合わせようとして、がっちり決めすぎると、ずれてきたときにけっこうケンカになっちゃいます。
どこまで許容できるか考えなくては、です。
子育てをしてきてそれはもう意見が合わないことが山盛りです。
たとえば習い事。
私としては小学校上がるまでは別にいいんじゃないかなーというのんびりした感じ。
でも、妻は、
「早いうちからやっておいたほうが子どものためになる!」
という考え方。
わかるっちゃわかるんですよ。
習い事をいろいろした方ができることは増えるし、無駄になることはない。
あとはお金と時間と労力との相談かなーってところで。
私自身が習い事を始めたのが小学三年生くらいからだったのでそれもあって、
「早すぎるんじゃないの?」
って気持ちがありました。
でも絶対反対ってわけでもない。
結局、スイミングと英語とピアノの三つを保育園時代から通うことになりました。
結果的には娘も楽しんで学んでいたし、しっかりと成長も見れたのでよかったのかなと思いますが、ここは私が折れたポイントだったりもします。
逆に一人部屋を持つタイミングは私の意見の方が採用されました。
妻は小学校になって、片づけなんかも自分でできるようになってから、という考え。
私は本人が欲しいと言えば持たせてもいいんじゃないのって思っていました。
結局、娘が5歳のときに、「どうしても欲しい!」と言われたので、一人部屋を用意することに。
これくらいの話ならまだお互いに譲り合える部分でもあったし、何がなんでもっていう部分でもなかったのかな。
正解なんてないし、大概なんとかなるもの
育児論とかいろいろあるけど、完全な正解ってないんですよね。
子どもの成長にいい!
って言われていることを全部やったらそれで立派に育つのかって言ったらそんな簡単なものじゃない。
逆に何も手をかけなくても元気に大きくなることだってある。
いろんな育児論とか教育論に翻弄されないことが大事なんだろうなって思います。
というか、うちの家庭で子どもに良さそうなことを次から次にやるのはまず無理!
時間的にも金銭的にもそんな余裕はナッシングです。
子育てってそれなりにてきとーでもなんとかなると思うんですよね。
もちろん、善悪だとか、社会的な常識だとかそういうのはつけさせた方がいいですけど、過度に心配したり、手を尽くす必要はない。
だからパートナーと意見が合わなくたって、正しい答えを出そうとしなくてもいいと思うんです。
譲れるところはどんどん譲っちゃってもいいし、そこにちゃんと互いに、
「これならいいかな」
という納得があればそれなりにうまくいくもんです。
お互いの方向性さえ合っていればいいんじゃないかな。
さて、いまのうちの課題は犬を飼うのかどうか問題です。
これも意見が夫婦で割れているので、妥協できる範囲のすり合わせをこれからのんびりやっていきます。