小説

『愚者のエンドロール』米澤穂信の古典部シリーズ第二作目

青春時代というものは、自分のあり方を何度も問い直すもの。

自分に何ができるのか。

周囲の評価と自分の評価の違いに戸惑うことも。

 

今回紹介するのは、米澤穂信さんの、

『愚者のエンドロール』です!

 

米澤穂信さんの<古典部シリーズ>の二作目になります。

アントニー・バークリーの『毒入りチョコレート殺人事件』のオマージュだと言われています。

こちらの作品でも、刑事と7人の人物が事件の推理を披露するという作品ですね。

 

 

『愚者のエンドロール』のあらすじ

高校一年生の夏休み終盤。

神山高校文化祭に向けて、文集『氷菓』の作成を行う古典部。

 

部室に集まり準備を進める中、部長の千反田えるから、自主制作映画の試写会に誘われる。

その映画は、2-F組が文化祭向けに作成したものであった。

 

古典部の折木奉太郎、千反田える、福部里志、井原摩耶花の四人で試写会へと向かうが、その映画は、脚本家が体調不良となり、途中で途切れて未完成の作品であった。

2-F組の伊須冬美は、古典部のメンバーに映画の結末がどういう内容であったのかを推理してほしいと依頼を持ちかける。

 

期待をされるということ

誰でも期待をされると嬉しいものですね。

誰も見てくれないよりも、見てくれている人がいると思えるとそれだけで頑張れるものです。

『愚者のエンドロール』の中でも、折木奉太郎はあまり映画の結末を推理することに乗り気ではなかった。

でも、伊須冬美に期待を寄せられることで考えてみようという気持ちになります。

 

奉太郎はうまく乗せられてしまったというところもありますが、これは日ごろの人間関係でも大切なことです。

期待ばかりではだめですが、そうした気持ちを一緒にいる人に伝えるのも大事です。

 

「天は二物を与えず」?

『愚者のエンドロール』の導入部分が私はけっこう好きです。

奉太郎と里志が歩きながら会話をしています。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

「天は二物を与えず」

という言葉に対して、生まれながらに格差はあるし、二物を与えられている人物も当然いると言います。

 

でもその上で、

”「天才は天才で、普通人の生涯は望んでも得られんことを思えば、そう羨ましいばかりでもないさ」”

(米澤穂信『愚者のエンドロール』P12)

とも奉太郎は言います。

私自身も、能力のある人や恵まれている人を見て、

「いいなー」

と思うことはありましたが、確かに恵まれている人には望んでも得られないものもあるのだなと考えさせられました。

米澤穂信さんの作品にはこうしたセリフが随所に出てくるので楽しいです。

 

終わりに

『愚者のエンドロール』は、前作『氷菓』以上に、それぞれの個性が出てきていて親近感がわいてきますね。

特に奉太郎は、一歩下がったところから見ているような部分もあったため、少し我が出ていて、青春だなという気持ちになります。

自信、高慢、期待。

高校生くらいのころっていろんな刺激を受けて成長する時代なのだなと読みながら思い返されます。

次回作『クドリャフカの順番』はついに文化祭に突入します。