小説

真実の10メートル手前という題名の意味を考えさせられる一作

『真実の10メートル手前』 米澤穂信

 

 

真実の10メートル手前

恋累心中

正義漢

名を刻む死

ナイフを失われた思い出の中に

綱渡りの成功例

 

 

『真実の10メートル手前』は、2015年12月に東京創元社単行本として出版され、2018年3月に文庫となりました。

 

私は文庫本が出たときに購入して読みました。

米澤穂信さんは大好きな作家なので、単行本が出たときにどれほど買いたかったか。

でも我が家の本棚がすでにかなり圧迫されていたため、泣く泣く文庫本になるのを待ちました。

 

本書は、米澤穂信さんの『さよなら妖精』にも出てくる太刀洗万智を主人公とした6編です。

 

『さよなら妖精』では、太刀洗は高校生でした。

本書では、社会人となった太刀洗をみることができます。

表題作でもある「真実の10メートル手前」では、新聞記者として失踪事件を追う姿が描かれています。

「恋累心中」以降の5編では、フリージャーナリストとしての姿を。

 

太刀洗が主人公となる作品として『王とサーカス』もありますが、時系列としては、

『さよなら妖精』→「真実の10メートル手前」(表題作)→『王とサーカス』→「恋累心中」以降の5編

となるようです。

まだ、『王とサーカス』を読んでいないため、先に読んだほうがよかったかもしれません。

 

 

「真実の10メートル手前」では、太刀洗の一人称で描かれていますが、それ以外は第三者の視点から太刀洗の姿を描いています。

そのため,太刀洗がその内心何を思っているのかくみ取れず,本人の描写や、仕事にストイックに取り組む姿もあわせて,最初は冷たい人物の印象を受けました。

でも、短編が進むにつれて,冷静に見えて内面には熱い心があることや、彼女が歩むと決めた道といったものが少しずつ見えてきて、もっと彼女のことを知りたいという気持ちが湧きたちます。

 

少しずつ見えてくる彼女の気持ちを知るに従い、最初の冷たい印象から,温かみのある人物へと変化していきます。

あえて太刀洗の姿を前半では、冷たく感じるように描いたのだと。

その分、最後には太刀洗に対する好意的な印象が残るところに、

「本当に米澤さんは文章が巧みだな。」

と思わされます。

 

 

読んでいて、ジャーナリストという仕事についても考えさせられます。

いま日本でジャーナリストと聞くと、週刊誌のスキャンダルをあばくイメージも強く、正直あまりいい印象がありません。

 

本書の中では、ジャーナリストという仕事上,真実を追い求めることと,読者が求めるものを提供しなければいけないようということが混在していました。

太刀洗も一見、読者が求めるものを追い求めているように見えていますが、その裏で真実を明らかにすることにより、助けられる存在を見つめている姿が印象的です。

 

また、「恋累心中」で、太刀洗とコンビを組んでいたジャーナリストの、

 

嫌な話にはいい加減慣れてきた。けれど、これほどやりきれない事件にも、いずれ慣れてしまう日が来るのだろうか。

 

という言葉も、本質を忘れたくないという気持ちが込められているのかなと読めました。

 

本書を読んで、仕事の正当性ということも考えさせられます。

 

私自身の仕事を振り返ってみてもそうです。

正当だと私が思うことが果たしてどれくらいできているだろうか。

ただ流されるままに勤めていないだろうかと、仕事を始めたころの希望と情熱を思い起こされます。

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