小説

法律は犯罪被害者を守らない?東野圭吾の『さまよう刃』から学ぶ法律の壁

自分の子どもや親しい人が犯罪被害者となってしまったら……。

果たして、法の下の裁きで納得することができるでしょうか。

主人公の行おうとすることは悪いと思いながらも心情としては理解できる。

 

今回紹介するのは、東野圭吾さんの

『さまよう刃』です!

 

個人的には、とても考えさせられるものがあって好きな小説です。

ただ、やりきれない気持ちにもなります。

 

『さまよう刃』のあらすじ

『さまよう刃』の主人公は長峰重樹という男性で娘と二人暮らし。

妻には娘が幼い頃に先立たれ、一人で娘を大切に育ててきた。

 

ある花火大会の夜。

21時に終わったはずなのに、長峰の娘・絵摩からは何の連絡もない。

一緒に行った絵摩の友人も、駅でわかれたと話しており行方がわからない。

警察に相談をし、無事を祈る長峰であったが、絵摩の死体が荒川で発見される。

 

大切にしていた娘を亡くし、憔悴していた長峰の元に一本の電話が入る。

それは、絵摩を殺した犯人の名前と居場所を知らせる電話であった。

 

教わったアパートにたどり着いた長峰は、そこでビデオテープを見つけてしまう。

そこには、二人の少年に凌辱されて死んでいく絵摩が写されていた。

慟哭する長峰。

 

そこに、少年の一人が帰ってきたため、長峰は衝動的にその少年を殺してしまう。

長峰は、殺す前にもう一人の犯人が長野に逃げたことを聞き、その行方を追いかける。

 

一方、警察も事件が少年たちによる犯行であると知り、長峰を止めるため、事件を解決するために、少年と長峰の行方を追いかけていく。

 

法律は誰のためにあるのか

『さまよう刃』の中では、未成年の少年による凄惨な事件が起きます。

 

主人公である長峰は、犯人が少年であることを知りますが、もし少年たちが捕まったとしても、少年法に守られており、極刑になることはあり得ません。

また、殺そうと思ってのことではなかったため、殺人罪ではなく、傷害致死罪が適用されることも考えられます。

例え警察に捕まったとしても、数年もすれば何食わぬ顔で社会に戻ってくる。

それが刑罰と言えるのかと、長峰は、自分がしようとしていることが間違っているとわかりながらも、逃げた少年を追いかけていきます。

もしも捕まったら実際にどうなるのか

私は学生の頃に少年法を専攻していたので考えてみました。

『さまよう刃』の加害者少年二人がもし捕まっていたらどうなるのか。

 

軽くて少年院送致、重くても検察官送致になったあと、少年刑務所での不定期刑に処されると思います。

 

少年院送致の場合、事件の件数と、残虐性から考えて、通常の一年ほどの少年院送致ではなく、2年から3年くらいの長期的な送致となるでしょう。

検察官送致だとしても、少年刑務所の中で問題なく過ごしていれば、数年で釈放されるでしょう。

 

その前段階として、留置場に入れられて、10日~20日間の勾留。

事件の多さから何度か再逮捕されたとしても、長くて80日くらいでしょうか。

そのあと、少年鑑別所に収容されて、4週間。

その後の裁判所の決定によって、少年院送致か、検察官送致という流れになると思います。

 

逮捕から全部合わせたとしても、早ければ2年。遅くても5.6年もすれば社会復帰するのではないでしょうか。

 

「少年だからといって、甘すぎるのではないか」

と思いますか。それとも、

「更生する可能性もあるのだから」

と考えるでしょうか。

少年法は加害者を守り、被害者に対して冷酷であるのか

『さまよう刃』の中でこんなセリフがあります。

”裁判所は犯罪者に制裁など加えない。
むしろ裁判所は犯罪者を救うのだ。罪を犯した人間に更生のチャンスを与え、その人間を憎む者たちの目の届かないところに隠してしまう。

そんなものが刑だろうか。しかもその期間は驚くほどに短い。一人の一生を奪ったからといって、その犯人の人生が奪われるわけではない”

(東野圭吾『さまよう刃』より)

また、

”少年法の壁は加害者を守る。そして殆どすべての法は被害者に対して冷酷だ”

(東野圭吾『さまよう刃』より)

とあります。

 

とても考えさせらえる内容です。

特に少年事件に対しては、ほとんどの場合、少年法によって保護処分という形をとります。

成人と同じように刑務所に入るのは、ごく一部の少年です。

 

被害者からすると、自分たちが苦しんでいるのに、気づいたら加害者の少年はそれまでと同じように社会で生活をしているということになります。

『さまよう刃』の中に出てくるような凄惨な事件の場合、長峰が犯人を追いかけていく姿も理解ができます。

また、本書の中で、本来であれば長峰を捕らえ、少年を保護する立場の警察側にも、

「自分たちが少年を捕まえて保護するのは正しいことなのか」

と葛藤する警察官が存在します。

 

法治国家である日本で法律のとおりにするのが正しい手続きではありますが、心情的に納得がいくかと言えばそうでないケースも多いのだと感じます。

では少年法をどう思うか

本書を読んでいて、この少年二人は、とてもでないが少年法で守られること、更生を促すことは生ぬるいと感じざるをえません。

読んでいて、長峰に逃げた少年を見つけてほしいと思ってしまいます。

 

ですが、少年法自体については、私は必要なものだと思っています。

そもそも少年法の目的が、まだ情緒的にも未熟な未成年に、反省を促し、更生する機会を与えることにあります。

成長途中である少年の可塑性(変わりやすいこと)を信じて、周囲の大人たちが支えて育てていこうというものです。

 

この目的自体はとても立派なものです。

そして、実際に犯罪をして捕まる少年には、本書のような少年だけでなく、いろんな少年がいます。

窃盗、傷害が多いようですが、近年は特殊詐欺も増えているみたいですね。

 

友人を殴ってしまった事件や、窃盗を働いてしまった少年。

重大な事件でも、やむにやまれず犯罪をしてしまった少年。

そういった少年には、本当に反省をしており、変わりたいと思っているのであれば、更生の機会が必要だと考えています。

 

実際に捕まって、留置場に入り、少年鑑別所に入り。

それだけで社会から隔絶された場所で1か月~2か月過ごすわけですからね。

 

でも、本書のような(実際にこういう少年がいるのかわかりませんが)少年であれば、少年だからなんてことは考えたくないです。

 

少年法が、厳罰化の流れになったきっかけの一つに、山口県光市の母子殺人事件がありました。

許されない事件でしたし、弁護士がついてからの意見陳述には、第三者から見てもふざけているとした思えませんでした。

弁護士とはなんのためにいるのかと弁護士自体が嫌いになりそうでした。

 

少年には、いろんなケースがあるように、少年法自体も、全部が理解できないわけではありません。

でも、反省もしていなくて、身勝手な事件を起こした少年についてはもっと厳しい態度で臨んでもいいのではないのかと思ってしまいます。

 

終わりに

少し、小説の中身から外れて思ったことを書いてしまいましたが、それだけ、様々なことを思わされる小説です。

 

加害者の少年の家族が、自分の身内を守ろうとするところや、

「うちの子に限ってそんなことをするはずがない!」

「友人が悪かっただけでむしろ被害者だ!」

といった態度を取るシーンもあります。

 

少年犯罪について

被害者の家族について

加害者側について

家族のあるべき姿について

自分の気持ちとそれでもやらなければいけないこと

そんなことを考えながら読まさせてもらいました。

 

けしてハッピーエンドで終わる小説ではありません。

読み終わった後も、考えさせられるものはあっても、後味の悪さのようなものも残りました。

それでも、多くの人に読んで、考えてもらいたい一冊です。